人は自然に周りの人との優劣をつけている。
お金を持っているとか、学歴が高いとか、背が高いとか。。。だから自分の方が上なんだという考えは僕は持っている。
でも、黒人だから、白人だから上とかしたとかは考えたことがないと思っていた。
考えさせられる出来事があったので、頭の中を整理するためにも、残しておくためにも、ブログへ書き出そうと思う。
自分自身は人種や肌の色によって偏見を持っていないと認識していた。
ところが、心の奥底の方で差別していることに気づいてしまったのだ。
自分が人種差別していると気づくことになったきっかけ
僕の家の向かいに住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんの元に、里帰りしてきた娘と家族がいた。
娘家族はアメリカのボストンに住んでいる。
僕の息子と同じ年の子供がいるということもあって、毎年里帰りすると仲良くしている。
先日、その家族とうちでホームペーティーのようなことをした。
事前に地ビールなんかを買ってきたり、刺身の盛り合わせを買ってきたりして、うちにしては豪華な食事になった。
刺身は近所の居酒屋さんで5千円分で盛りを作ってもらった。
そこにおまけで「馬刺し」がついてきたのが発端だった。
馬刺しが大好きな僕の息子は、大喜びで食べ始めた。
でも、アメリカの家族はびっくりしている表情。
日本人である奥さんも「日本人て馬を食べるの?」と驚いていた。
彼女は中学まで日本で、高校からずっとアメリカへすみつづけて、30年くらい経っている。
日本人が馬刺しを食べることを知らなかったようだ。
驚く彼らに、ほろ酔い気分も手伝って、「食べてみなよ!」とすすめてみた。
多分、僕らに気を使った部分もあったのだろう。
「おいしい」とは一言も言わずに、黙々と食べて、すぐに飲み込んでいた。
その日のパーティー自体はとても盛り上がった。
夜遅くまで、いろいろな話をして、楽しいお酒も飲みすぎるくらい飲んだ。
確実にお互いの交流は進んで、来年には僕がボストンへ行くなんて話にもなった。
そして翌日、夜に庭先で花火をしないかと誘われて、庭に出て行った。
その時アメリカ人の子供2人の兄弟が英語で僕の方をチラチラとみながら、話しているのが聞こえた。
「not eat hose」というような単語だと思った。
「もう馬は絶対に食べないからな」みたいなことを言っていると認識した。
そして、彼らは僕の花火の説明も聞かなかった。
そこで僕は異様に腹が立った。
中学生の子供が僕に悪意を持って、陰口を叩いて、いうことも聞かない。
近所の子供なら、そこで子供に向かって怒っていたと思うが、言葉の通じない子供には怒ることができなかった。
その鬱憤もあってか、とても腹が立って、あきらかに不機嫌な態度をとって自室に入ってしまった。
自室で仕事をしていても腹が立って、そのことが頭から離れない。
その時に浮かんできたのが、バリ島にいるインドネシア人の家族にお世話になっている時の様子だった。
アメリカ人である彼らは、僕がインドネシア人を見ているような目線で、僕らを見ているんじゃないか?
馬を食べる野蛮人だと見下してばかにしているんじゃないか?と考えた。
友達だと思って付き合っていたのに実はばかにしていた?
ちょっと待てよ?
僕はインドネシア人の家族を本当の友達だと思って付き合っていると思っていた。
でも、今頭に浮かんできた考えは、見下している。
確かにインドネシア人は、カエルや虫を食べる。
自分では気づかないうちに、インドネシア人は文明が根付いていない野蛮な人たちだと思っていたんだな。
見下している自分に気づいていない。
そのことに気づいてしまった。
止観瞑想をやるようになって、自分の頭の中に浮かんでくる考えや感情・想いを、意識して感じるようにしているのにわからなかった。
僕はアメリカ人に対して劣等感を持っていることと、インドネシア人に対して優越感を持っていることがわかった。
どこでこんなことを刷り込まれてしまったんだろう。
今回自分に気づくことができたので、あとはゴールに対して不必要な考え方は、自然に修正されて行くだろうな〜
ちっちゃい人間は嫌だね〜。
器の大きい人間になりたいな〜