29歳の時に始めたウェイクボードを再開

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はっきりしていないんですが、確か29歳ごろだったと思います。
当時は、まだ僕は会社の社長ではなく、叔父が社長でした。
だけど、すでに自分が中心となって経営していて、長年の業績不振でヘトヘトになっていました。
自分の給料もまともに払うことができていなかった。
灰色のイメージです。

そんな時にレンタルビデオ店の同業者の仲間と知り合い、ウェイクボードに誘われました。
特にやりたかったわけではなく、お付き合い程度に参加しました。

初めてのウェイクボード

早朝に葛西臨海公園近くの船着場に集合して、荒川でウェイクボードをしました。
当時はお金がなかったので、高速道路を使って葛西まで行くのが辛かった。
こんな金のかかる趣味やるなんて、儲かってる店はいいよな〜なんて思ってました。

4人くらいで乗り込んで、7時から12時くらいまで滑ったと思います。
初めてだったけど、スタート時に2回くらい転んで、それからはすぐに立てるようになった記憶があります。
でも、定期バスのでかい船が通ると、でかい波が来て確実に転んでました。
これがすごい恐怖でした。

最初は乗り気じゃなかったのに、行って見たら結構楽しかった。
船の上で裸でワイワイ騒ぎながらやる雰囲気とか、滑っている時の爽快感が気持ち良かった。

ウェイクボードを毎週行くようになってしまう

それから、何度か同じ人に誘われて、ウェイクボードをやっているうちにハマって来た。
お金ないのにセミドライスーツを買ったり、板とビンディングを買ったり、ライフジャケットを買ったりで、20万円くらいの出費(汗)
当時かなり思い切って買ったのを覚えています。

そして毎週のように中央道、首都高と乗り継いで、葛西に通いました。
そうこうしているうちに、レンタルビデオ店の店長は大阪へ転勤させられてしまい、ウェイクボード仲間は居なくなってしまいました。

確か、ウェイクボードを始めて半年後くらいです。
一式揃えたのにそれはないでしょう。。。と途方にくれました。

利根大堰のトーイングショップを見つけて通い詰める


毎週葛西まで高速代を使って通うのは大変なので、近場のトーイングショップをネットで探しました。
その中で利根大堰という熊谷のちょっと先の利根川でトーイングをやっていることを発見!
そこで良い仲間に出会うことができて、通い始めることになりました。
そこだと下道を通って1.5時間。
朝5時に家を出て、6:30に到着して、7:00から出航。
2本滑って10時には終わって、12時には帰宅。

こんなのを月に3〜4回くらい、5月から1月くらいまでやってました。
でも、そんなに上手くなりませんでした。

確か2年くらいやったのかな。

それから子供が生まれたのをキッカケに徐々にフェードアウト。

それから13年くらいして、44歳の時に復活となります。
これからウェイクボードについても、行くたびに記事を更新するつもりです!

-ウェイクボード

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