僕らが信じているお金とは何なのかを考える

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お金の仕組みというのは、あまり考えたことがなかった。
なぜ?あんな紙っぺらに力があるのか?なんてことを真剣に考えたことがなかった。
親や社会が当たり前だと思っている通り、本当に価値があるものだと信じて生きてきた。
ほとんどの人がお金をたくさん持ちたいと望んでいて、お金がなくなると自ら命を絶ってしまう人さえいる。
お金のために犯罪を犯す人もいれば、お金のためにノイローゼになりながら働き続ける人もいる。

僕はちょっと前まで、お金のイメージを「サバンナのライオンが食べている食事」のように考えていた。
沢山あることで、家族が食料にありつくことができる。
食料がなければ生き延びることができない。

でも、よく考えてみると実際のお金とは違いすぎる。
お金がなくても生活保護を受けて生きていくことはできる。
今の日本では食事にありつくことはそんなに難しいことではない。
となると、お金というのは生存するためだけの権利ではない。
やはりサバンナのライオンたちに獲っての獲物とはちょっと違う。

一体なんなのか?を考えてみる。

お金はどのようにして始まったのか?

お金のことを考えるならば、お金がどのようにして始まったのかを考える必要があると思って、色々と調べてみた。
日本以外の国では、ずいぶん古くからお金が誕生していたようだが、ややこしくなるので、日本についてだけをみることにする。

本当の物々交換

いつ頃なのかはよくわかりませんが、元々は自分の田んぼで取れた雑穀と畑で取れた野菜を交換していたのでしょう。
近所の人との交換であれば、この物々交換で十分でした。
この本当の物々交換でのデメリットは、価値の保存ができず、持ち運びが大変だったということです。
価値の保存というのは、朝採れた新鮮な野菜は、朝のうちに売ることで価値が最大化されます。
この朝採れた野菜と新鮮な魚を交換したいと思っても、朝野菜を取ってから、海へ向かうとその間に新鮮ではなくなってしまいます。
それには、朝採れた野菜を近所で、価値が保存しやすくて持ち運びやすい塩などに交換して、魚を買いに行く必要がありました。
野菜を大量に抱え込んでいても、1週間後には大きく目減りしてしまいます。

米・塩・布の物々交換

こうして価値の保存が効く米・塩・布が重宝されるようになりました。
しかし、これらの物々交換にもデメリットがありました。
それは、塩も米も布も大量に持ち運ぼうとすると、非常に重かったのです。
せいぜい荷車くらいしかない時代で、基本的には背負って山道を歩いていた時代です。
これは大きなデメリットとなったんじゃないでしょうか?

という流れから、貝を使った貨幣が誕生したのも自然だと感じますね。

お金はどうやって進化してきたのか

貝からスタートしたお金ですが、今では紙っぺらや銀行通帳の数字の印字だけになっています。
どうやったらこうなるんでしょうね(笑)
今まで漠然とみていたら疑問に思わなかったのですが、こうして深く掘り下げてみると、とても不思議です。

宝貝を使った最初のお金


弥生時代には貝を使ったお金が使われていたようです。
これは日本だけではなく、世界中で貝を使ったお金がありました。
日本ではお金として最初に使われたと思われます。
ですので、お金にまつわる漢字には「貝」という文字が使われているんですね。
例えば、「貸」「賃」「買」「貯」「購」の漢字です。

でも、ちょっと疑問に思ったのは、貝は海で誰でもが拾うことができますから、これをお金にしてしまうと海へお金を取りに行く人が増えるんじゃないかな〜と。。。
だって金が出る金山へ、金を掘りに行く人たちが殺到したのと同じじゃないですか。
真面目に価値のあるものを作るよりも、貝を拾った方が労力対効果が高いんじゃないかと考えてしまいますね。
その辺の答えは見つけることができませんでした。
当時の人たちはそんなことは考えなかったのかもしれませんね(笑)

軽くて持ち運びにも便利な貝のお金ですが、それでもデメリットがあったようです。
使われていた貝は「タカラガイ」や「イモガイ」などの巻貝です。
これは時間とともに劣化してしまい。崩れてしまいます。
崩れてしまうと、もう価値はありません。
うっかり踏み潰してしまったら、価値がなくなってしまうというのも怖いですね。
これでは、何かの時のために、家に貝を保存しておいたら崩れてしまっていたなんて悲惨なことになります。
保存がきかないと言う大きなデメリットがありました。

初めて国(朝廷)が発行した貨幣

まだ諸説あるようですが、和同開珎(わどうかいちん)(わどうかいほう)が一番古い貨幣だと言われています。
これは朝廷が発行した銅でできた貨幣です。
この貨幣によって、日本国内で共通して使うことのできる価値観が共有されたということでしょう。
国が価値を認めていて、壊れたり、重すぎない、需要を満たした「お金」が誕生しました。

ここから形や通貨の名前は色々と変化はしますが、通貨としての概念は変わらず、物々交換の延長でした。

明治時代に入っての兌換紙幣と金本位制

明治時代に入ってから、イギリスのお金の制度が流れ込んできたようです。
維新後イギリスに留学した人たちが重要な位置についたこともありますし、勝利した薩長を後押ししていたこともあり、イギリス寄りの政策を進めたんでしょう。

まず明治元年に明治政府が日本で最初となる紙幣を発行しました。
明治4年からは金本位制を採用して、お札と金をいつでも交換すると約束しました。
実はすぐに金が不足してしまって、代わりに銀と交換する銀本位制に変更されたんですが(汗)

明治15年に日本銀行が設立され、政府の代わりに日本銀行が兌換紙幣(だかんしへい)を発行することになりました。
兌換紙幣とは、金との引き換えが保証されている紙幣のことです。

ちょっと話は逸れますが、この日本銀行については、いろいろな疑惑があります。
この日本銀行は上場している企業です。
55パーセントを政府が保有していますが、残りの49パーセントは複数の個人が所有しているようですが、公開はされていません。
この公開されていない株主が、天皇家だったり、ロスチャイルド家だったりの話があります。
僕自身はかなり真実味のある話だとは思っています。
イギリスの通貨発行権を持っているイングランド銀行の大株主はロスチャイルド家ですし、アメリカの通貨発行権を持っているFRBの大株主もロスチャイルドです。
明治維新で助けてくれたイギリスのロスチャイルドが通貨発行権を持ってもおかしくないんじゃないでしょうか。
まぁ憶測の範囲内ですけどね。

またまた話は逸れましたが。。。
こうして、僕らがよく見ている紙のお金に切り変わったということです。

現代のお金は非常に複雑になっている

お金に切っても切れない関係の銀行について、アドルフ・ゴールドシュミットについての話をしたいと思います。

アドルフ・ゴールドシュミット(英語名ゴールドスミス)は金の細工師でした。
当時は持ち運ぶことも楽な、お金として金は使われていました。
金の細工師であるゴールドシュミットは、この大事な金が流通しやすいようにコインにしました。
このコインは、金の純度や重さが規格で統一されていたので、取引がとても楽になりました。
こうしたことから、ゴールドシュミットの元には、コインの注文が沢山入りました。

すでにゴールドスミスの元には大量の金があることは、町中の人たちが知っています。
大量の金を保管するには、大きな金庫が必要となり、当時は金庫など売っていませんので、特注で金庫を作ることになりました。

すると、お客さんや町の人たちの中にも、金や貴重品を預かって欲しいという頼まれるようになります。
ゴールドシュミットは金庫内の棚を貸し出し、手数料をもらうようになりました。

ゴールドシュミットは金を預かる際に、紙に書いた預かり証を引き換えに渡していました。
町の人たちの中では、この預かり証さえ持っていけば、確実に金のコインに交換してもらえることがわかっていたので、この預かり証も売買の際のお金として使われるようになりました。
ゴールドシュミットは預かり証(お金)を発行できるようになったのです。
これが通貨発行権です。

こうして、実際には金を引き出さなくても、物が買えるようになりました。
それから数年して、ゴールドスミスはあることに気づいてしまいました。
それは、町の人は彼に預けた金をほとんど引き出しにこないということでした。
一度に全員が引き出しに来ることはまずないと。

そこで、金庫に入っている大量の金のコインを貸し出そうと考えました。
実際には、お金を貸す際にも実際のコインではなく、預かり証だけで済むようになりました。

金庫の金は減らずに、預かり証が大量に出回るようになり、ゴールドスミスは預かり証を発行するだけで、ローンの貸出金利を受け取ることができるようになりました。
これが銀行家の始まりだと言われています。

この話には続きがあって、ローンの金利を受け取るようになったゴールドシュミットは、とても羽振りが良くなってしまいました。
町の人たちから見ても、不安になるくらいのお金の使い方になってきました。
町の人たちは、もしかして?自分たちのお金を使い込んでいるんじゃないかと。
預かり証を持っていっても、自分の金を引き出すことができないんじゃないか?という「取り付け騒ぎ」が起こりました。

そこで、町の人たちは「実際に金庫の中を見せてみろ!」となったのです。
実はこの時は、金の貸し出しを大してやっていなかったので、金庫の中には大量の金が入っていたため、町の人たちは安心して帰って行きました。

安心した町の人たちは、さらにゴールドシュミットの支援者にもなります。
できるだけ金を預けて、金利の分け前をもらうようになります。
これが預金金利のスタートです。

今の日本のゴールドシュミットは誰?

ゴールドシュミットの話を日本に当てはめて見ましょう。
ゴールドシュミットの話で出てきたのは、「通貨発行権」「貸出金利」「預金金利」です。

一番わかりづらい通貨発行権について考えて見ましょう。
日本における通貨発行の権限を持っているのは「兌換紙幣」の項で説明した日本銀行ですね。
昔の紙幣は金と交換することができる交換券だったわけですから、ゴールドシュミットの話と全く同じです。
途中からは、金との交換はしないけど、紙幣の価値は日本政府が保証することで、大きな騒ぎなく不換紙幣へと移行します。
こうなると、金が金庫に入っているとか関係なくなりますから、いくらでも紙幣をすることができるということです。

こういう、現代国家においては最強の権限を持っている日本銀行が、誰の持ち物なのか明かさないというのも不思議ですね。
明かさないから色々な疑惑話が出て来るわけです。

日本のお金についてのまとめ

最終的に何が言いたかったかというと、お金は誰が持ち主かもわからない日本銀行が、何の保証もなく発行しています。
細かくいうと、国債を買い戻すなどありますが、原理は政府がお金だと言っている紙切れです。
そして、政府はお金を自由に作っています。
実際にお金も印刷してはいません。
通帳の数字を増やすだけの場合がほとんどです。

そして、この状況はアメリカでもヨーロッパでも同じです。
そういったお金通しが複雑に絡み合って、今の社会は成り立っているんです。

お金って一体なんなんでしょうか?
こんなものに命がけでしがみつく必要があるのでしょうか?

この題材については、今後も考え続けて、記事を書いていこうと思います。

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